田辺裕信騎手嫁や落馬負傷,同期,年収を調査!関東で一番上手い?天才肌のジョッキーの詳細に迫る!! | ジョッキーの年収や嫁(結婚相手)等を調査するサイト「競馬ジョッキー倶楽部」

田辺裕信騎手嫁や落馬負傷,同期,年収を調査!関東で一番上手い?天才肌のジョッキーの詳細に迫る!!

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2014年のフェブラリーステークスを16頭立て16番人気のコパノリッキーで制し、日本中の競馬ファンの度肝を抜いた田辺裕信騎手。

デビューから約10年ものあいだ、中々勝てないなかでもレースにおける勝負勘や攻めのスタイルを養ってきました。今回はそんな田辺騎手の紹介です。

田辺裕信騎手のプロフィールと経歴。成績が上向くまでには時間がかかり、同期の多くも引退

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引用元:netkeiba

田辺裕信騎手は、JRAの競馬学校騎手過程第18期生として2002年に同校を卒業し、同年3月2日に中山競馬場第2レースでアルファジェネラスに騎乗して騎手デビューを飾りました。
デビュー戦では9番人気で8着と、人気より上位に来たものの勝利には届かず、田辺騎手が初勝利を挙げたのはそれから5ヶ月後の8月3日、新潟競馬場第12レースでヒノデツートンに騎乗してのことでした。初勝利を挙げるまでにかなりの時間を要してしまったこともあり、デビュー1年目は年間8勝で終わります。

2年目となった2003年こそ年間20勝を挙げて上昇の気配が感じられましたが、それから2008年までは毎年10勝を僅かに超える程度の成績しか残せず、重賞の騎乗経験はあれども勝利はなし、G1レースに至っては騎乗経験すらありませんでした。

後輩の若手騎手も台頭してくる中で日の目を見ない日々が続いていましたが、ようやく風向きが変わり始めたのが2009年、それまで350程度だった年間の騎乗数が534までアップし、それに伴い勝利数もキャリア最高の33勝をマークしました。翌2010年も騎乗数は674でさらにアップ、勝利数も37勝で自己最多を更新し、同年の12月9日には朝日杯フューチュリティステークスで、ついにG1レース初騎乗も成し遂げました。

タガノロックオンと共に挑んだこのレースでは12着に敗れてしまいましたが、16頭立ての15番人気だったことを考えれば健闘したと言って良いでしょう。そして2011年4月のG3アンタレスステークスではゴルトブリッツに騎乗し見事優勝。デビュー10年目にしてようやく初の重賞タイトルを手にしました。その後2012年は一時成績を落としましたが、2013年以降は高いレベルで成績が安定するようになり、G1レースも2014年にフェブラリーステークスを、2016年には安田記念を制するなど、関東のトップ騎手として活躍しています。

デビューからブレイクまでかなりの時間を要しましたが、その間に同期デビューした仲間たちも激減。2017年時点では10名いた18期生のうち6名がすでに引退し、その内2名はデビュー初年度に落馬事故と交通事故でそれぞれ亡くなられています。また、田辺騎手以外は主戦場を障害レースに移しており、平地レースで活躍しているのは田辺騎手1人のみという状況です。デビューから順風満帆というわけではなく、下積み時代も長かった田辺騎手ですが、若くして引退していった同期たちの分も息の長い活躍を期待したいですね。

理想のタイプは嫁?気になる結婚相手は?

騎手はレースの優勝賞金の5%が収入として入ってくるほか、レースでの騎乗手当も1レースにつき数万円支給されるなど、年齢の若い騎手でも活躍すればかなりの収入が入ってきます。そういった懐事情もあってか、20代前半で結婚する騎手も少なくありません。

田辺騎手もすでに結婚しているのですが、当時の年齢は27歳だったので騎手としては遅いくらいかもしれませんね。いくら騎手の収入が多いと言っても上位と下位では天と地ほどの差がありますし、浮き沈みも多いです。

そして何よりも、常に危険の伴う職業ですから、客観的に考えれば勢いに任せて結婚してしまうより、これくらいの年齢まで余裕を持たせてみるのは良いと思います。もっとも、田辺騎手が結婚に踏み切った2011年は、大ブレイクを果たした年でもあるので「これだけ稼げれば大丈夫!」という勢いが多少なりとも有ったかもしれませんが。

ちなみに、結婚相手についてですが、報道でも一般女性と出されただけで、名前や写真などは公表されていないようです。田辺騎手は理想の女性のタイプとして「嫁」と答えたこともあるようですから、田辺騎手がぞっこんになるくらい美人な方なのかもしれませんね。

下位人気であっと言わせる騎乗も多く、上手いというよりは天才肌?

田辺騎手が2017年10月末時点で勝利している2つのG1レースは、どちらも下位人気馬に騎乗してのものでした。特に、初のG1制覇となった2014年のフェブラリーステークスで騎乗していたコパノリッキーは、16頭立ての16番人気。

人気は実力とイコールではないですし、その後のコパノリッキーの活躍を見ればその人気の無さを不思議に思う方もいるかもしれませんが、当時はまだ地方重賞を1つ勝っていただけで、前走、前々走と大敗していたこともあり、ファンからはまず勝ち負けにはならないと思われていたはずです。

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フェブラリーステークスはあまりにも極端な例になりますが、2勝目となった2016年の安田記念でも、騎乗していたロゴタイプはすでにピークを過ぎたと見られ、8番人気に留まっていました。この2つのレースに共通して言えることは、どちらも人気では劣っていながら、田辺騎手の積極的なレース運びによって勝利を掴んだということです。

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積極的なレースをすれば毎回上手くいくわけでもありませんが、G1という大舞台でそういったレースが出来ることは田辺騎手の大きな強みといえるでしょう。また、展開が読み辛いレースにおいて、「この騎手は何か仕掛けてくるかもしれない」とファンに思わせるだけの意外性も持っています。その点でいえば、「上手い」と感じるような優等生的な騎乗スタイルではなく、「やられた」と感じてしまう、天才肌に近い乗り方なのかもしれませんね。

絶好調の時に落馬負傷。怪我明けは少しペースダウン

2011年以降関東のトップ騎手として走り続けてきた田辺騎手ですが、2017年はさらにペースを上げ、6月末までの上半期で59勝をマークしていました。

しかし、良い形で前半を折り返したと思った矢先の7月第1週にレース中に落馬。左足のくるぶしを剥離骨折し、全治約1ヶ月と診断されました。結局レースに復帰できたのは、それから1ヶ月半後の8月19日からで、勝利数もそこから少しペースダウンし、10月末時点で74勝と、自身初の年間100勝を達成するには大きな痛手となってしまいました。

勝利数を増やすためには騎乗数も増やさないといけませんし、そうなってくると必然的に落馬の可能性も増えてきてしまいますが、やはり騎手にとって落馬は良い事ではありません。仕方ないこととはいえ、当週に騎乗依頼をしていた関係者にも迷惑が掛かってしまいますし、負傷しているあいだは騎乗が出来ないので収入も得られません。

また、復帰に時間がかかるような大きな怪我であれば、復帰後すぐには有力馬に乗せてもらうことが出来ないかもしれません。勝利も大事ですが、やはりまずは安全第一で騎乗することが大切です。田辺騎手の場合、同期をレース中の落馬で無くしていることもあり、そういったことは重々承知だとも思いますが、人間誰しも調子が良い時はついつい注意力が散漫になってしまうものです。

田辺騎手のような、レースを面白くできる騎手はそう多くいませんから、休養しているあいだはファンも物足りませんし、それほどの実力があれば年間100勝など急がなくても達成できる記録だと思うので、焦ることなく1鞍1鞍大切に乗ってもらいたいですね。

年収は1億円以上。でもさらに稼げるはず

デビュー以来着実に成績を伸ばしてきた田辺騎手ですが、それに伴い年収もしっかりとアップしていき、2011年以降はコンスタントに1億円以上稼いでいます。

ちなみに大ブレイクした2011年は2010年と比べると2倍近く年収が増えているので、税金の金額などはびっくりしたかもしれませんね。2017年も10月末時点で優勝賞金だけで7000万円程度ありますから、今のペースでいければ1億円以上稼げそうなので、このまま無事に乗り続けてもいらいたいですね

しかし、前述したように田辺騎手の実力であればまだまだ伸びる余地があると思うので、将来的には2億円近く稼ぐことも可能な気がします。もちろん、そのためにはG1レースなどの優勝賞金が高い大舞台での優勝が不可欠ですので、持ち味の積極性や意外性でこれからもファンを楽しませてもらいたいですね。

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