2004年に、それまで所属していた兵庫競馬組合から中央競馬へと移籍してきた小牧太騎手。同じく地方競馬出身の先輩、安藤勝己元騎手のように、移籍してすぐに大レースを次々制することまでは出来ませんでしたが、2008年にはG1桜花賞を12番人気のレジネッタで制し、大波乱を演出しました。今回はそんな小牧騎手の紹介です。
引退や華原朋美さんとの関係、娘さんや息子さん、嫁さんや年収も調査しましたのでご覧ください。
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小牧太騎手のプロフィールと経歴、JRAに移籍してからの成績
引用元:netkeiba.com
小牧太騎手は1985年の10月30日に、地方競馬の姫路競馬場第1レースでタカラヒリユウに騎乗して騎手デビューを飾りました。初勝利は同年の11月3日で、姫路競馬場第8レースでビンゴトモエに騎乗してのものでした。地方競馬は中央競馬と違い、毎週末だけレースがあるわけではありません。
したがって、デビューから初勝利までの間隔が早いのか遅いのか掴みづらいですが、例えば地方・中央で活躍した安藤勝己元騎手は、初騎乗が1976年10月20日で、初勝利が同年10月23日。地方競馬の象徴的騎手であり、「大井の帝王」と呼ばれる的場文男騎手は初騎乗が1973年の10月16日で、初勝利が同年の11月6日であることから、小牧騎手のデビューから勝利までの間隔は十分に早いと言えるのではないでしょうか。
ちなみに、小牧騎手はデビュー以来ずっと兵庫で乗ってきた為、関西出身と勘違いされやすいですが、実は出身は鹿児島県であり、実家も宮崎県にあるようです。
地方競馬所属時代はゆっくりとですが着実に実力を伸ばし、デビューから8年目で兵庫リーディングに輝きます。
それからは通算で10回の兵庫リーディングを獲得し、2003年に一足先に中央競馬へ移籍していた安藤勝己元騎手に次いで、鳴り物入りで中央競馬への移籍を果たしました。しかし、抜群の実績を誇って移籍した中央競馬初年度は、環境の変化にも戸惑いがあったのか、勝利数はもちろん、勝率・連対率も期待されたほどの成績を残すことが出来ませんでした。これは、小牧騎手本人が語っていたことでもありますが、やはり移籍後の1年、2年は結果を出すことを焦る気持ちもあったようです。
また、移籍したのが安藤勝己元騎手のすぐ後というのもプレッシャーの1つとしてあったのかもしれませんね。
中央競馬のファンにも小牧騎手の名が大きく知れ渡るレースとなったのが、2008年にレジネッタと共に制した桜花賞でしょう。12番人気ながら鮮やかに差し切り、3連単が700万円を超える大波乱となりました。払戻金額のインパクトもさることながら、優勝インタビューで涙ながらに答えた姿は多くの競馬ファンの心を打ったのではないでしょうか。
翌2009年にはローズキングダムで朝日杯フューチュリティステークスを制し、2年連続でのG1勝利を達成しましたが、それ以降G1勝利からは遠ざかってしまっています。それでも、移籍2年目の2005年以降から勝利数は安定して50~70勝を挙げ、重賞でも2007年から2015年まで9年連続で勝利しており、中央でも十分に勝負できていることがわかります。
ただ、2016年からは勝利数も微減し、重賞勝利からも遠ざかってしまっています。年齢も50歳を超えてきているので、体のケアに気を遣うことも多くなってきたとは思いますが、一気に衰えがきたという印象は全くないので、2018年こそは久しぶりの重賞勝利が大いに期待されます。
小牧太騎手は50歳を超えたら引退?鞭を置く日はいつ?
中央競馬・地方競馬に限らず、近年は長く現役を続ける騎手も珍しくなくなってきました。とはいえ、小牧騎手ももう50歳で、中央競馬で年上の騎手は数えるほどしかいません。騎手は調教師と違い定年が無いため、引退の時期も人それぞれです。
以前、といっても5年以上前ですが、小牧騎手も50歳を節目として考えている時期があったようです。しかし、現在のところ小牧騎手に引退の意思は無いようで、2018年も現役を続行しています。騎手は年齢を重ねても若々しい人が多いですが、小牧騎手も本人曰く「まだ自分を50歳だとは思っていない」ようで、フレッシュな気持ちで競馬に臨めているのでしょうね。
とはいえ、いくら気持ちがフレッシュでも、身体的な限界というのも当然騎手の引退には関わってきます。レースの過酷さが要因となることももちろんですが、騎手によってはレースよりも減量が辛いというケースも大いにあり、安藤勝己元騎手も現役晩年は減量に苦心していたようです。若い頃と同じように体重を一定にキープし続けるということは、年齢による体質の変化などもあると想像以上に大変です。小牧騎手も減量の辛さを語っていたこともありますから、長く現役を続けるということは、そういった自分自身との戦いも制していかなければならいということでしょう。
華原朋美さんのツイートが思わぬ展開に?騎乗停止中の落とし穴
2017年の小牧騎手は、勝ち鞍こそ2016年と変わらないものの、これまでになく騎乗停止が続くなどして、騎乗数は移籍以来最低の数字となってしまいました。特に7月は開催6日間の騎乗停止という重い処分が下されたこともあって、ほとんどレースに出走出来ませんでした。騎乗停止中の騎手というのは、別に謹慎しなければならないわけでもないので、時間を持て余してしまうことも多いようですが、小牧騎手はこの機会に自分を見つめ直そうと、ボランティア活動に参加したり、馬術競技をしている息子さんが勤務する牧場に修行に行ったりなど、精力的に活動したようです。
ここまでなら、小牧騎手が騎乗停止期間を非常に有意義に過ごしたというエピソードで終われるのですが、実はこの牧場修行の期間中に、小牧騎手が歌手の華原朋美さんらと牧場で楽しく過ごしている様子が華原さんのツイッターで公開されたのです。
これを受け、ネット上では「本当に反省しているのか」といった厳しい批判の声が挙がるようになってしまいました。前述したように、騎手の騎乗停止期間は謹慎期間とは違うので何をするのも自由ではありますが、SNSが充実している現代において、騎手はこういったケースに発展することなども考えて、慎重に行動していく必要があるかもしれませんね。
ちなみに、華原朋美さんも馬術経験者なので、以前から小牧騎手の息子さんとも交流があり、その牧場にも度々足を運んでいたようです。したがって今回もいつもと同じように過ごしていただけなのでしょうが、小牧騎手にとってはタイミングが悪かったと言わざるを得ないでしょう。
小牧太騎手の嫁さんはやはり強い?気になる結婚相手は?
独り立ちしている息子がいるのだから当然ではありますが、小牧騎手はかなり前に結婚されています。しかし、残念ながら結婚相手の名前や写真などは調べても出てきませんでした。
小牧騎手も自分の嫁について語ることはほぼないのですが、現在も良好な関係にあることだけは間違いないようです。数少ない夫婦間のエピソードでは、泥酔した小牧騎手を知人が家まで送ってあげると、「そこら辺に放っといて下さい」と言われたというような、夫婦の力関係が実にわかりやすく出ている話もありました。
小牧太騎手の息子は一流の馬術選手。娘はバレットとして父を支える
小牧騎手の息子さんで、現在は牧場で働いている加矢太さんは、騎手を目指していたこともあるのですが、JRAの競馬学校騎手課程の試験では身長がネックとなり不合格。受験当時から165センチもあったらしいのですが、骨の成長度の検査では将来的にさらに176センチくらいまで身長が伸びてしまうという結果が出たことにより、騎手を諦めざるをえなかったようです。
それでも、その後は高校に進学し馬術競技に転向。国体などでも活躍し、2020年の東京五輪を目指して日々トレーニングに励んでいます。ちなみに、競馬学校を受験する前からトレセン内の乗馬苑に通っていたこともあり、そこで一緒だった松若風馬騎手とは今でもたまに食事に行くくらい仲が良いそうです。また、娘のひかりさんは2013年から小牧騎手のバレットを務めるようになり、文字通り小牧騎手を1番近くでサポートしています。
子供が2人とも馬に関わる仕事に就いていますが、小牧騎手は家庭に仕事を持ち込むことを嫌うようで、家で競馬を見るなんてことは1度も無かったようです。それでも父と同じように馬と関わる仕事を選んだのですから、小牧騎手が父としていかに尊敬されているかがわかるような気がしますね。
小牧太騎手の年収は?
小牧太騎手の年齢は2016年度は6300万円だそうです。すばらしいですね。