30年以上の歴史を持つJRAの競馬学校第1期生でありながら、現在も第一線で活躍している柴田善臣騎手。長く競馬界を牽引してきた人気騎手でもある為、ファンも非常に多いです。今回はそんな柴田騎手を紹介します。
そんな柴田善臣騎手の妻との離婚や息子の競馬学校退学、引退時期や年収等根掘り葉掘り調査しましたので、早速ご覧ください。
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柴田善臣騎手のプロフィールや経歴、成績など
引用元:Twitter
柴田善臣騎手は、JRAの競馬学校騎手過程を第1期生として卒業し、1985年の3月9日に中山競馬場第6レースでイズミサンエイに騎乗して騎手デビューを飾りました。デビュー戦は5着に敗れたものの、同年の4月7日に中山競馬場第6レースで同じくイズミサンエイに騎乗し、初勝利を達成しています。
騎手養成施設がそれまでの馬事公苑から競馬学校に変わった第1期生ということで、特に注目を集めていたデビュー1年目ですが、柴田騎手は年間で12勝を挙げる活躍を見せ、民放競馬記者クラブ賞を受賞しています。
当時はJRA賞最多新人騎手という統一の新人賞が無く、関東の所属騎手には民放競馬騎手クラブ賞、関西の所属騎手には中央競馬関西放送記者クラブ賞という新人騎手が対象の賞がそれぞれ設けられていた為、柴田騎手は関東での新人賞に輝いたことになりますね。ちなみにこの2つの賞は現在も残っていて、年間30勝以上という高めのハードルが設けられているJRA賞と違い、ほぼ毎年受賞者が選出されています。
デビュー初年度から順調な滑り出しを見せた柴田騎手ですが、競馬学校在学中から既に馬乗りの技術は群を抜いていたようで、競馬学校の後輩であった横山典弘騎手は以前テレビ番組で、自分では上手く乗れないような気性の馬でも、柴田騎手は何事もなく乗りこなしていたと発言していました。
1988年の中山牝馬ステークスでソウシンホウジュに騎乗して重賞初勝利を挙げると、それから2007年まで20年連続で重賞勝利を達成し、G1レースでは1993年の安田記念をヤマニンゼファーに騎乗して制するなど、2017年末までに9個のG1タイトルも手に入れています。
また、1997年には初めて年間100勝も達成し、2002年から2004年までは3年連続で関東リーディングに輝いています。さらに、各国のトップ騎手や中央・地方競馬の代表騎手を集めて総合ポイントで争うワールドスーパージョッキーシリーズでも1999年と2003年に優勝を果たしており、その実力は日本でも屈指であると言えるでしょう。
しかし、そんな日本を代表をするような名騎手でありながら、日本ダービーをはじめとするクラシック競争では人気薄の馬を上位に持ってくる等、存在感は示しているものの勝利には縁が無く、2018年4月の時点でもまだ勝利を挙げることが出来ていません。
競馬界では長く西高東低の時代が続いた事もあって、関東所属の騎手は有力馬でクラシック競争に参戦する機会自体が少なかったことも影響しているとは思いますが、ファンとしては、引退までに何としても柴田騎手がクラシック競争を勝利する姿を見たいですね。
柴田善臣騎手は妻と離婚していた!?再婚の可能性は?
2018年で52歳になる柴田騎手ですが、ずいぶん前に結婚し、子供も3人いるのですが、現在は離婚してしまっていて、慰謝料の支払いもあるということを自身のコラムで語っていたようです。この話題に関しては過去のニュース等も残ってなく、正確さには欠けるのですが、子供3人の親権は柴田騎手にあるようですね。
2011年から2012年にかけて更新していた柴田騎手のブログでは息子さんたちと仲良くしている姿も頻繁に挙げられていたので、良い父親であるのは間違いないでしょう。ちなみに、今のところ、再婚したというニュース等は出ていませんが、騎手というのはいくつになってもモテる職業のようなので、柴田騎手くらいの年齢でもそういったチャンスが無いわけではなさそうです。
柴田善臣騎手はいつ引退する?過去には病気で長期休養したことも…
2018年の1月に、柴田騎手と競馬学校時代からの同期で、障害レースで活躍してきた林満明騎手が引退を表明しました。とはいえ、すぐに鞭を置くということではなく、障害レース2000回騎乗を達成してからということなので、おそらく2018年末辺りまでは現役を続けることになると思いますが、林騎手が引退してしまうと、競馬学校1期生の現役騎手は柴田騎手のみとなります。
騎手には定年退職が無いので、引き際も自分で決めることが出来ますが、セカンドキャリアで調教師を目指す騎手などは早い時期で引退することも多いです。柴田騎手の同期である石橋守調教師や須貝尚介調教師も早めに騎手としての現役生活を終え、調教師への道を歩んでいきました。
そういった側面から見ると、柴田騎手は引退後に調教師になることはあまり考えていないのかもしれません。柴田騎手は釣りや車、ワイン等多種多様な趣味を持っていることでも有名ですから、出来るだけ長く騎手を続け、引退してからは趣味の道を歩むつもりかもしれませんね。
ただ1つ現役を続ける上で心配なのが、腰の持病です。柴田騎手は椎間板ヘルニアを患っていて、長く腰の痛みに悩まされていたようで、2009年には手術も受けています。手術が成功したことで、痛みからは解放されたようですが、騎手という仕事を続ける以上は腰への負担も大きいでしょうから、再発のリスクは高まります。
年齢を重ねるごとに体のケアが大変になってくるとは思いますが、騎手として現役を続けるためには何よりも健康であることが1番なので、柴田騎手には無理をしすぎることなく、長く現役を続けてもらいたいですね。
柴田善臣騎手の息子は競馬学校を退学?
武邦彦・武豊親子をはじめ、古くから競馬騎手には2世が非常に多いものですが、柴田騎手の次男である柴田健登さんも2011年に騎手を志して競馬学校に入学しました。柴田騎手は親子で騎乗出来ることを楽しみにしていたようで、先に触れたブログでもその想いを語っていましたし、多くの競馬ファンも親子対決を待ち望んでいました。
しかし、非常に残念ながら2012年に健登さんは競馬学校を退学してしまいました。退学の理由はネット等で様々語られていますが、公式では一身上の都合による自主退学という形のようです。
競馬学校は全寮制で厳格な規則もさることながら、生徒への徹底した体重管理・食事制限等、食べ盛りの年齢の生徒たちにとっては過酷な環境でもあるので、ほぼ毎年退学者が出ているようですが、当然ながら名騎手の息子であっても条件は同じだったということでしょう。
それでも、健登さんはあくまで騎手過程を退学しただけであり、翌2013年には厩務員過程に再入学し、無事卒業を果たしています。
柴田騎手との親子対決が見られなかったのは残念ですが、競馬の道は決して騎手だけではありません。厩務員となった健登さんと共に、親子で大レースに挑戦するというのもまた夢があると思うので、ファンとしてはそれを楽しみに待ちたいですね。
柴田善臣騎手はのあだ名は先生?それとも相談役?意味は?
「先生」や「相談役」など、柴田騎手には他の騎手にはないようなユニークなあだ名が2つほどあります。これらは主にネット上で一部のファンが使っていることが多いので、一般のファンに広く知られているかは微妙な所ですが、それぞれに一応の由来があります。
まずは「先生」というあだ名ですが、これには諸説あるものの、現在は柴田騎手の騎乗スタイルに起因している説が最も広く知られているでしょう。
柴田騎手の馬乗りの上手さは先に触れたとおりですが、競馬においても柴田騎手はその技術を十二分に発揮した、スマートな騎乗を信条としています。
馬にかかる負担を極力少なくし、安全にも最大限配慮したその騎乗ぶりは関係者からの信頼も厚く、まさに騎手のお手本のような、理想的な乗り方と言って良いかもしれません。しかし、競馬はスマートな騎乗ばかりでは勝ち切ることが難しいのも事実であり、勝ち星を取りこぼしてしまうケースも少なくありません。
それでもいつも良い所までは来るので、一つのレースで大きく稼ぐことは少ないものの、多くのレースで堅実に入賞賞金を手にする所が公務員的であるとされ、「先生」という呼び名が定着したというものです。
もう一つの「相談役」ですが、こちらは非常にシンプルです。柴田騎手は2005年から日本騎手クラブの会長を務めていたのですが、2010年に武豊騎手にその会長職を譲りました。歴代の騎手クラブ会長は、就任すると騎手を引退するまで務めていたので、会長を退任した後の役職は必要無かったのですが、柴田騎手は現役のまま会長職を退いたことにより、新たに「相談役」という役職が設けられたのです。
元は一部のファンがそれを面白がって呼び始めたのがきっかけだったと思いますが、「相談役」というのは柴田騎手の騎手クラブにおける正式な役職なので、その呼び方は決して間違っていないとも言えますね。
柴田善臣騎手の年収は騎手の中でも安定している!だから趣味の車にもお金をかけられる。
最後に柴田騎手の気になる年収ですが、2017年度は16勝という、近年で最も悪い結果に終わったものの、稼いだ金額は騎手の平均年収である4000万円程度という計算になります。16勝という勝利数は決して多くないですが、それでも多くの金額を稼げるのは、先に触れたとおり柴田騎手の公務員的な騎乗スタイルの賜物に他なりません。
単純な比較は難しいですが、2017年度の柴田騎手と成績の近い騎手と比べてみると、菊沢一樹騎手は2017年度、462回レースに騎乗して1着は20回でした。それに対し、柴田騎手は475回騎乗して1着は16回です。この数字だけを見れば菊沢一樹騎手のほうが多く稼いでいそうですが、実際の賞金獲得額では柴田騎手のほうが上回っています。
というのも、菊沢騎手は5着以下の着外回数が355回なのに対し、柴田騎手は331回なので、勝利数では負けていても、入着回数で勝っているのです。とこでしょうか。柴田騎手の年収が勝利数の割に多いのは、まさに公務員騎乗のなせる業というところでしょう。
ちなみに、柴田騎手は大の車好きでも知られていて、2013年にはそれまでの愛車遍歴も公表したのですが、カイエンやガヤルド等、一般のサラリーマンでは手を出すことも難しそうな高級車の名前も多く並んでいました。
もちろん、騎手は常に命がけで仕事をする代償として多くの報酬を得ているので、一般のサラリーマンとは金銭感覚も違うのでしょうが、車の維持費だけでも相当な金額になりそうなものです。それでも、柴田騎手はそれを賄えるだけの収入を安定して稼げているので、現役を続ける限りはまだまだ趣味にお金をかけ続けることも可能と言って良いでしょう。