松岡正海騎手の嫁(杉浦美帆)や出身中学は?年収や落馬事故による影響も調査!! | ジョッキーの年収や嫁(結婚相手)等を調査するサイト「競馬ジョッキー倶楽部」

松岡正海騎手の嫁(杉浦美帆)や出身中学は?年収や落馬事故による影響も調査!!

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デビューして数年でG1レースを勝利するなど、関東所属の若手トップ騎手として活躍してきた松岡正海騎手。

マイネル軍団の主戦騎手としても知られていましたが、近年は度重なる落馬負傷に苦しめられてきました。今回はそんな松岡騎手を紹介します。

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松岡正海騎手のプロフィールと経歴、成績は近年下降気味

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引用元:競馬学園

松岡正海騎手はJRAの競馬学校に騎手過程第19期生として入学し、2003年の3月1日に中山競馬場第12レースでプラチナウィンクに騎乗して騎手デビューしました。
このレースでは14着に敗れ、勝利を手にすることは出来ませんでしたが、同年の3月23日には中山競馬場第12レースでデュエットシチーに騎乗し初勝利を挙げています。

デビュー初年度は11勝に留まり、同期の石橋脩騎手や長谷川浩大元騎手に勝ち星で差をつけられる形となりましたが、3年目となった2005年にはG3ダイヤモンドステークスで重賞初勝利を挙げるなど49勝をマークし、一気に若手の注目株となりました。
翌2006年は6月から9月までアイルランドへ遠征を行ったことで勝ち星こそ前年を下回りましたが、重賞は前年を上回る2勝で、どちらも帰国後のレースだったことから遠征の経験がさらなる成長に繋がったことがわかります。そして2007年にはヴィクトリアマイルでコイウタに騎乗し、12番人気ながら見事優勝し、念願のG1初制覇を達成しました。

2008年は混戦と言われた牡馬クラシックで、主役の1頭となったマイネルチャールズと共に3冠レースすべてに出走したものの、3着→4着→5着と1戦ごとに着順を落とす結果に終わりました。特に、最初の1冠である皐月賞は1番人気を背負っての3着だったので、本人としても悔しいレースとなったと思います。

それでも2009年には同じマイネル軍団のマイネルキッツに騎乗し、G1天皇賞・春を制覇。悔しい思いをした分は同じマイネルの馬でキッチリと返しています。

2010年には自身初となるJRA年間100勝も達成し、いよいよ若手のトップ騎手として上り詰めようというところまで来ましたが、2011年、2012年と連続して落馬による骨折で長期離脱を強いられてしまいました。
それにより勝利数・騎乗数ともに大幅減となり、2013年以降は年間40勝前後で成績が推移しています。それでも、重賞レースでは2005年から2017年現在まで毎年勝利を挙げるなど、騎乗技術はしっかりしたものを持っているので、良い流れに乗れるきっかけさえあれば、再びリーディング上位に顔を出すことも可能でしょう。

結婚相手は女優杉浦美帆!子供は2人?現在の嫁と交際が始まってからは成績も上昇!

デビューからわずか5年でG1を制覇するなど、早くから大活躍を見せていた松岡騎手ですが、結婚に関しても同じく早かったようで、デビューから7年目の2009年、25歳の時に女優の杉浦美帆さんと結婚しています。

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引用元:Make On The Holidayブログ

美帆さんは女優業のほかに競馬番組のリポーターなどの仕事も行っており、2人が出会ったきっかけも競馬番組のインタビューだったそうです。ちなみに、2人の交際がスタートしたといわれる2007年は、G1初制覇を含む重賞4勝と松岡騎手にとって飛躍の年となりましたが、プライベートの充実もこの大活躍に繋がったのかもしれませんね。

また、2011年には長女が、2013年には次女が誕生していますが、お子さんの事について語る機会はあまりないようで、名前に関しての詳細は出てきませんでした。それでも、次女が生まれた直後のインタビューでは「子供のためにも頑張る」といった発言をされているので、子供たちのことを大切に思っていることがうかがえますね。

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出身中学では野球漬けの毎日。出身地からわかる競馬とのつながり

デビューして数年で活躍の場をどんどん広げていった松岡騎手ですが、意外なことに競馬学校に入学するまでは乗馬経験が無かったようです。これはJRA公式サイトの、これから騎手を目指す人たちへ向けて発信しているページ内でも語られています。

中学までは野球をしていて、選抜チームに入ったりもしていたようなので、運動神経は良かったみたいですね。ただ、実家が神奈川県川崎市で小田急線の柿生駅近くということなので、中学は川崎市立柿生中学校に通っていたと思うのですが、特に野球で表彰されたような実績までは見つかりませんでした。

ちなみに、プロ野球の球団では横浜のファンということですが、これは出身地が神奈川県ですから当然といえばそうかもしれません。横浜といえば大魔神こと佐々木主浩さんや、番長こと三浦大輔さんなど、野球選手を引退後に馬主に転身された方もいるので、横浜ファンということをもっとアピールすれば、そういった方たちの所有馬に乗れるチャンスが出てくるかもしれませんね。

また、競馬を見るようになったのはお父さんの影響かららしいですが、実家から東京競馬場が近かったこともあり、競馬場に連れて行ってもらうこともあったようです。そうしているうちに競馬の魅力に取りつかれ、騎手を目指すようになったのでしょう。騎手を目指す子供は競馬関係者が身内にいて、競馬が身近な存在だったケースが多いですが、松岡騎手の場合も関係者ではないですが、競馬場の近くに住んでいたという点では競馬が身近な存在だったといえるのではないでしょうか。

度重なる落馬事故は騎手としてのブランド力にも悪影響?

松岡騎手の成績が2011年頃から下降傾向にあることの要因として1番に挙げられるのが、度重なる落馬による負傷離脱だと思います。落馬というのはどれだけ気を付けて乗っていても、他の馬の影響を受けたり、自分の馬に故障が発生したりすると避けることは難しいので、一概に騎手が悪いというものではありません。

それでも、実際に騎手が落馬負傷して乗れなくなってしまうと、その後に騎乗を依頼していた関係者は非常に困りますし、復帰時期がわからなければ、それまで任せていた馬も他の騎手に依頼せざるを得なくなります。ましてやそれが続くとなると、心情的にも期待している馬を任せたいとは思えなくなってくるでしょう。原因がどうであれ1度でも落馬が多いというイメージを持たれることは、騎手にとって限りなくマイナスです。

しかし、残念ながら松岡騎手は2017年も7月に落馬事故による負傷で一時戦線を離脱してしまいました。続けて9月にも落馬によってその週の騎乗をキャンセルしています。
特に7月の落馬事故は凄惨なもので、これにより左仙腸関節と骨盤を骨折し、長期の離脱も考えられました。

幸いなことに僅か1ヶ月ほどで復帰が叶いましたが、その僅か1週間後にまたも落馬。こちらはレース後の落馬だったので大事には至りませんでしたが、やはり関係者へ多大な迷惑がかかったことは否めません。そもそも7月の事故のように、落馬は騎手にとって時には命を脅かすほど危険なことです。松岡騎手には奥さんやお子さんなど守るべき人たちもいるので、必要以上に気を付けてもらいたいですし、腕は確かなので良い馬にさえ騎乗出来ればもっと成績が伸びることも間違いありませんから、良い馬の騎乗依頼を増やすためにも、落馬が多いというイメージは払しょくしてもらいたいですね。

年収はピーク時の半分以下に

2010年をピークに成績が下降してしまっている松岡騎手ですが、レースの結果によって収入が変わってくる騎手の場合、成績が下がれば当然年収も下がります。2010年頃は1億3千万円程もあった年収が、近年ではその半分ほどの6千万円程度にまで落ち込んでしまいました。

一般的に見れば十分な金額ですが、順調であればもっともっと稼いでいてもいいはずの騎手ですから、この数字は少し物足りないといえるでしょう。

しかし、このままで終わるはずもありません。2017年は10月末時点で、2013年以来久々に重賞レースを2つ以上制覇していますし、勝利数も前年を上回れるだけの可能性は十分に残しています。2017年も落馬が続いてしまったことは残念ですが、再浮上できるだけの力は十分持っているので、この先年末まで事故なく良い成績を残せるよう頑張ってもらいたいですね。

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