父に藤岡健一調教師、兄に藤岡佑介騎手を持ち、2007年に大きな期待を背負ってデビューした藤岡康太騎手。
デビューして間もない頃は思うように結果を残せていませんでしたが、2009年にG1を制すると、それから2016年まで毎年重賞勝利を挙げるなど、徐々に成績を伸ばしてきました。今回はそんな藤岡騎手を紹介します。
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藤岡康太騎手のプロフィールと経歴、実は意外と知られていない記録も多いデビュー後の成績
引用元:ツイッター
藤岡康太騎手は、2004年にJRAの競馬学校騎手過程第23期生として入学し、2007年の3月3日、中京競馬場第1レースでヤマニンプロローグに騎乗し、騎手デビューしました。このデビュー戦で藤岡騎手は1番人気を背負い、見事優勝。JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利で早速ファンの期待に応えてみせました。
また、このヤマニンプロローグは父である藤岡健一調教師の管理馬でもあり、父にとっても嬉しいプレゼントとなりました。デビュー日は最終的に8鞍に騎乗しましたが、これはデビュー日の騎乗回数としては最多タイ記録でもあります。ちなみに、他にデビュー日の最多騎乗回数記録を持っているのは、言わずと知れた2世騎手の代表格、福永祐一騎手と武幸四郎元騎手であることから、この記録を達成するためには、親族をはじめ関係者の協力も不可欠だとわかります。
藤岡騎手も父親が調教師、兄が騎手という環境だったので、他の同期騎手に比べるとスタートの時点では少し恵まれていたのかもしれません。もちろん、2世というだけで乗鞍がいくらでも用意されているような甘い世界ではないので、藤岡騎手本人への期待もあったでしょう。
デビュー戦では上々のスタートを切れた藤岡騎手ですが、その後は厳しいプロの洗礼を浴びることとなります。年間での騎乗数はそれなりにありましたが勝利数は24勝に留まり、同期の中では1番の成績を挙げたものの、兄である藤岡佑介騎手も受賞したJRA賞最多勝利新人騎手は、受賞基準を満たせなかった為逃してしまいました。
2年目となった2008年は37勝をマークし、初年度の成績こそ上回りましたが、兄弟という立場上どうしても比較されてしまう兄の佑介騎手が2年目で62勝を挙げているため、やはり物足りない数字に見えてしまいます。
しかし、2009年にはG3ファルコンステークスでジョーカプチーノに騎乗し重賞初制覇、その勢いのままG1のNHKマイルカップでもジョーカプチーノと共に優勝し、兄がまだ成し遂げていなかったJRAのG1制覇を達成しています。
また、同じく2009年にはオーストラリアで開催された見習騎手の招待競走「アジアヤングガンズチャレンジ」の第1回大会に日本代表として出場し、3レース合計で35ポイントを獲得し、見事優勝を果たしています。ちなみに、藤岡騎手はこの大会が海外での初騎乗となったのですが、国内でのデビュー戦に続き、海外でも初騎乗・初勝利を達成しています。
その後はG1レース等での目立った活躍はあまり出来ていませんが、2014年には自身初の年間50勝を達成するなど、着実に実力を伸ばしてきています。
イケメンであり23期生一のプレイボーイ。だけど彼女は募集中で結婚にも消極的?
関西の若手騎手の中でもかなりのイケメンといえる藤岡騎手ですが、現在のところ結婚はまだしていないようです。騎手は早くに結婚する人が多く、同期でも浜中俊騎手や大下智騎手はすでに結婚していますが、藤岡騎手は2013年頃のインタビューで結婚願望があまりないということも言っているので、もしかすると結婚はまだまだ先になるかもしれません。
同じインタビュー内では彼女募集中ですとも言っていましたが、同期の荻野琢真騎手曰く、23期生一のプレイボーイということなので、彼女が作れず困るということもなさそうですから、もう少し独身を楽しみたいという気持ちもあるかもしれませんね。
意外とアイドル好き?公然とももクロを猛プッシュ!
引用元:ねじ曲がり もがいた時間も
藤岡騎手を語る上で外せないのが、「ももいろクローバーZ」の話題です。以前よりテレビ番組などでもファンであることを公言していましたが、その本気度合いはかなりのものです。
2014年の6月に同期の荻野琢真騎手が通算100勝を達成した時には、何故かももクロパーカーを着た藤岡騎手が笑顔で記念撮影に混ざり、主役であるはずの荻野騎手が霞むほどの存在感を放っています。また、先輩の高田潤騎手のブログに藤岡騎手が登場した時には、なんと自作のももクロ風ジャンバーを着て写真に写っています。
どちらも自宅で個人的に楽しむだけではなく、公的な場でも堂々と着用しているところにファンとしての本気度が感じられますね。ちなみに、関西所属の若手騎手はももクロのファンが多いようで、藤掛貴志騎手や松山弘平騎手などもファンを公言しています。その影響力は計り知れず、若手騎手がももクロダンスをしているのを見て、武豊騎手や四位洋文騎手までもが興味を持ったほどだそうです。
もしかすると、ももクロへの熱の入れ様も藤岡騎手が結婚していない理由の一つに挙げられるかもしれませんね。
引退も考えた落馬による大怪我
本業の競馬以外に、プライベートでも充実した毎日を送っている藤岡騎手ですが、2012年の8月に起きた落馬事故では、引退を考えるほどの大怪我を負っています。
落馬した後は丸1日意識が戻らず、その時の記憶もまったくないそうで、事故の衝撃がいかに凄まじかったかがわかります。これにより、藤岡騎手は肩甲骨と肋骨を2本骨折し、さらには頭を打ったことで脳の神経に影響し、右目で見たものが2重に見えてしまうようになったそうです。骨折した個所はリハビリで元の状態に近づけることが出来ますが、目の異常だけは確たる治療法もなく、ただ良くなるのを待つだけということだったので、藤岡騎手にとっては長く辛い時間であり、引退を考えてしまうこともあったようです。
それから徐々に改善し、2013年の2月に何とか復帰することが出来ましたが、復帰までには約半年もかかってしまいました。スポーツ選手はもちろん、一般のサラリーマンでも半年くらい休んでしまうと身体が思うように動かなくて苦労すると思いますが、藤岡騎手はその復帰した2013年にその時点でキャリア最高の年間47勝をマークしています。
それ以降も2016年まで毎年キャリア最高を更新し続けており、怪我からの完全復活はもちろん、さらにパワーアップして帰ってきた印象すらありますね。騎手としては怪我のないことが1番大事だと思いますが、引退までよぎるような怪我を負ったことで改めて騎手という仕事と向き合えるようになり、良い結果に繋がっているのであれば、藤岡騎手にとって大切な経験となったのではないでしょうか。
騎手としては平均より少し上くらいの年収。稼げる舞台でしっかり稼ぐ
最後に、気になる藤岡騎手の年収ですが、落馬による長期離脱があった2012年を除くとほぼ毎年5000万円以上稼いでいます。騎手にはレースの優勝賞金の5%が収入として入ってくるほか、レースでの騎乗手当、さらには調教でも手当が付きます。
藤岡騎手の場合、勝利数自体はそこまで多くありませんが、2009年から毎年重賞を勝っていることが安定して高収入を得ている要因に挙げられると思います。それだけ重賞レースというのは他のレースと比べて賞金が高いですし、レース自体の騎乗手当も少し多いです。
ただ、2017年は10月末時点でまだ重賞勝利がなく、勝利数も少し伸び悩んでいます。獲得賞金から計算してもまだ5000万円には届いてなさそうなので、しっかりとした稼ぎを得るためには年末に向けてラストスパートをかける必要がありますね。特に重賞は2009年からの連続記録もありますし、何とか1つでも勝ってもらいたいものです。G1レースも2009年以来勝利が無いので、同期の浜中騎手に負けないように、そろそろ久しぶりの勝利を期待したいところですね。