2015年にミルコ・デムーロ騎手と共に外国人としては史上初のJRA所属騎手となり、2017年の日本ダービーで、外国人騎手としてJRA史上2人目のダービージョッキーとなったクリストフ・ルメール騎手。
今回はそんなルメール騎手の紹介です。
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クリストフ・ルメール騎手のプロフィールと経歴、主に日本での成績
引用元:NumberWeb
クリストフ・ルメール騎手はフランス出身で、1999年に母国にて騎手免許を取得しました。フランスには日本と同じように競馬学校がありますが、ルメール騎手は競馬学校を卒業しておらず、一般の高等学校を卒業しています。
競馬学校を卒業せずに騎手免許の取得を目指すことは、日本ではかなり稀なケースだと思いますが、フランスの場合、障害騎手ではよくあるケースのようです。しかし、平地騎手となればやはり稀なようで、ルメール騎手がその道を選ぶことになったのは、父であり障害競走の元騎手でもあったパトリスさんに競馬学校への入学を反対された為だそうです。
パトリスさんが反対した正確な理由はわかりませんが、騎手という職業に就いていたからこそ、競馬の危険さも十分に知っていたでしょうし、騎手として成功できなかった時のリスク等も考えて、一般の高等学校への入学を勧めたのかもしれませんね。とはいえ、フランスにはアマチュアの競馬大会もあるので、競馬学校へ入学出来なかったとしてもレースの経験を積むことは可能であり、実際ルメール騎手も高校在学中だった16歳の時からレースの経験を積み始めました。
フランスでのデビュー初年度は騎乗機会にもあまり恵まれず、さすがに好成績を残せませんでしたが、2年目以降は騎乗数・勝利数ともに一気に飛躍。若手ながら国外への遠征にも積極的で、アメリカやドバイ、インドでも騎乗経験を積み、2003年にはパリ大賞典でG1レース初制覇を成し遂げるなど、フランスでも指折りの騎手へと成長していきました。日本で短期免許を利用して騎乗するようになったのは2002年からで、フランス人騎手の先輩であり、日本の競馬ファンにも馴染み深いオリビエ・ペリエ騎手の影響が強かったようです。
日本の競馬ファンにルメール騎手の名前を一気に知らしめることとなったのは、なんといっても2005年の有馬記念でしょう。シンボリルドルフ以来の無敗の3冠馬となったディープインパクトが、初めて古馬との対決に挑んだレースです。前走の菊花賞では普通であれば負けパターンの競馬になりながら、圧倒的な差をつけて勝利したこともあって、この有馬記念でもディープインパクトの勝利を期待するファンが多数を占めていました。しかし、結果はルメール騎手が騎乗したハーツクライがディープインパクトに半馬身の差をつけて優勝。これまで追い込みの競馬でG1ではあと一歩届かなかったハーツクライを、先行させて押し切るという戦法に切り替えさせた内容も相まって、多くのファンに驚きを与えました。
ちなみに、ルメール騎手にとってはこれがJRAのG1初制覇であり、意外にも重賞競走初制覇でもありました。これ以降は日本のファンのあいだでもすっかりおなじみの存在となり、毎年秋のG1戦線には主役の1人として欠かせない騎手となります。そして、2015年にはイタリアのミルコ・デムーロ騎手と共に外国人として初のJRA通年免許を取得。以前にデムーロ騎手が受験した時は不合格になってしまったほどの難しい試験ですが、ルメール騎手は見事一発合格を決めてしまったのでした。
移籍初年度となった2015年は、デビュー戦直前に調整ルーム内で外部との接触ツールであるTwitterを使用し、30日間の騎乗停止処分になってしまいリーディング争いから大きく出遅れることとなりましたが、年間112勝を挙げてJRA最高勝率騎手の栄誉に輝いています。2年目の2016年も最多勝利騎手こそ戸崎圭太騎手に譲りましたが、最高勝率騎手、最多賞金獲得騎手をW受賞するなど、充実のシーズンとなりました。そして2017年にはレイデオロで日本ダービーを初制覇。移籍からわずか3年で競馬サークル最大の栄誉を手に入れることが出来ました。また、前年に惜しくも逃してしまった最多勝利騎手も、2017年は11月末時点で首位の座にいるので手が届くところまで来ていますから、このまま勝利を積み重ねてタイトル獲得といきたいですね。
嫁(結婚相手)と子供は日本在住。フランスにいた頃は得られなかった貴重な時間も
ルメール騎手は日本に移籍する前にフランスで結婚し、子供も2人いるのですが、現在は奥さんのバーバラさん、長男のルカ君、長女のアンドレアちゃんと家族そろって移住し、京都で生活しています。
引用元:netkeiba.com
ルメール騎手曰く、京都は栗東からも近く、子供たちが通えるフランス人学校もあるのでとても暮らしやすいとのこと。伝統的な街並みも気に入っているようです。また、フランスで騎手をしていた頃は毎日レースで騎乗していたのに対し、日本では基本的に週末しかレースが無いので、平日は子供たちと過ごせることも良いみたいですね。
奥さんは以前テレビ番組にも出演されていましたが、積極的に日本の生活に溶け込もうとしているところが印象的でした。ルメール騎手も家族の支えがあるからこそ、現在の大活躍があるのでしょうね。
家族の中でも父親は別格?兄弟はいない?
ルメール騎手のお父さんが騎手だったことは前述した通りですが、ルメール騎手がこの道を目指すようになったのもお父さんの影響が強かったことは間違いないでしょう。これは日本の2世騎手にもよくあることですが、やはり親族に騎手がいると小さい頃から競走馬も身近な存在となる為、自然と競馬にも興味を持つようになります。
実際、ルメール騎手も5歳の時にはポニーに騎乗し、騎手になることを夢見ていたそうです。ただし、ルメール騎手が10歳の時に父が騎手を引退すると、しばらく競馬熱が冷めてしまったようなので、はじめは騎手への思いというよりも父への憧れのほうが強かったのかもしれません。ルメール騎手が再び競馬へ興味を持つようになったのも、父が競馬番組のコメンテーターをするようになったからだというので、その影響力は計り知れませんね。ちなみにルメール騎手のミドルネームには父の名を採って「パトリス」が付けられている為、本名も正しくはクリストフ・パトリス・ルメールとなるそうです。
様々なところから父との絆が感じられるルメール騎手ですが、これまでのところ兄弟のことに関しては言及したことがないようで、おそらく兄弟はいないようです。競馬界は日本に限らず海外でも兄弟で騎手というケースも多いですから、ルメール騎手にも兄弟がいれば騎手として活躍していても不思議ではありませんが、今回調べた限りはそういった情報もありませんでした。
日本語はどんどん上達
ルメール騎手と同時に移籍したミルコ・デムーロ騎手の日本語が饒舌すぎてあまり目立ちませんが、ルメール騎手も移籍初年度から比べると日本語は相当上達しています。移籍初年度は、優勝インタビューで言いたい言葉が見つからなさそうな仕草をすることも多かったですが、そうした場面も徐々に減ってきていると思います。
一説ではフランス語と日本語は相性が悪いとも言われているようなので、それを考えると習得までに相当な努力をしたことは想像に難くありません。また、通年免許取得には日本語での口頭試験を突破する必要があったため、受験前はフランスの日本語教師と共に喋れるようになることに重きを置いて学習していたようですが、現在は喋るだけでなく読むことも出来るようになり、競馬新聞を読むことも難しくないようです。
JRA所属の騎手で一番多い年収
2016年にJRA最多賞金獲得騎手の表彰を受けたルメール騎手ですが、これは即ち2016年にJRA所属の騎手として一番稼いだということを意味しています。そのルメール騎手の年収ですが、JRAのレースにおける優勝賞金の他に、騎乗手当や調教手当、地方競馬での賞金等を含めるとなんと2億5000万円程度稼いでいる計算になります。
騎手の平均年収は5000万円に満たないくらいで、リーディング上位の騎手は1億円を超えることも珍しくありませんが、ルメール騎手はリーディング上位騎手のさらに倍以上の金額を稼いでいることになりますね。これは単純に勝利を積み重ねるだけでなく、賞金の高い重賞競走も多く勝利しなければ到達できない金額なので、2016年のルメール騎手がいかに充実したシーズンを送れたかがわかります。
2017年も11月末時点でレースでの獲得賞金は36億円を超えており、騎手の取り分である5%で計算しても2億円に迫るほど稼いでいることになります。無事に乗り続けられれば、あと1ヶ月でここからさらに伸びることは間違いないですし、賞金の高いG1レースにもチャンスのある馬で臨む機会が多いので、去年以上の成績を残すことも十分に可能ですから、まだまだルメール騎手の快進撃は止まりそうにないですね。