田中勝春騎手の引退はいつ?嫁,年収,競馬界の反町隆史のこれまでに打ち立てた数々の伝説も紹介! | ジョッキーの年収や嫁(結婚相手)等を調査するサイト「競馬ジョッキー倶楽部」

田中勝春騎手の引退はいつ?嫁,年収,競馬界の反町隆史のこれまでに打ち立てた数々の伝説も紹介!

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東所属のベテラン騎手として、長く安定した成績を残し続けている田中勝春騎手。関東の騎手としては珍しいほどにテレビ出演が多く、自身のブログも開設しています。そんな田中騎手を紹介していきます。

田中勝春騎手のプロフィール。これまでの経歴やG1での成績など

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田中勝春騎手は1986年にJRAの競馬学校騎手過程第5期生として入学し、1989年の3月4日に中京競馬第2レースでチャンピオンミナミに騎乗して騎手デビューを飾りました。
それから初勝利を挙げるまでにはかなりの時間を要してしまい、10月21日の東京競馬第6レースでセキテイボーイに騎乗してようやく勝利を掴むことが出来ました。これはその年の新人騎手の中では最も遅い勝利となり、初年度は5勝を挙げるに留まりました。
ただし、それ以降は一気に飛躍し、2年目で41勝、3年目以降も安定して60勝以上を挙げるようになり、1992年にはヤマニンゼファーでG1安田記念を制し、関東ではリーディングを争える騎手としの地位を不動のものとしました。

しかしその後はG2やG3ではコンスタントに勝利を挙げるもの、JRAのG1を勝てない日々が続き、再びG1を勝利したのは15年後の2007年、皐月賞でヴィクトリーに騎乗してのことでした。さらに同年にはシャドウゲイトと共にシンガポール航空インターナショナルカップで国際G1初勝利も挙げています。
それからまたJRAのG1勝利から遠ざかっており、2017年9月時点でも勝利を挙げることが出来ていません。G1で勝てない要因として、有力馬の多くが関西所属になっていることが1つ挙げられますが、それ以外にも関西と比べ関東では柴田善臣騎手や、横山典弘騎手、蛯名正義騎手など田中騎手よりの年上のベテラン騎手が現役で活躍しているため、有力馬に乗るチャンスも少ないのが現状です。

通算では1700勝以上挙げている実力のある騎手なので、もっと有力馬に乗る機会が増えればG1での勝利も増えるのではないでしょうか。
ちなみに、競馬学校の同期には、すでに引退していますが、佐藤哲三、角田晃一、山田泰誠などがおり、田中騎手を含めそれぞれが幾多のレースで主役を演じ、人気・実力の伴った華々しい世代といえるでしょう。

もうベテランの域だけど引退はいつ?

田中騎手は2007年に108勝を挙げて以降、勝ち星は減少傾向にあるものの、毎年コンスタントに勝利を挙げてきました。しかし2015年、2016年は一気に減少し、デビュー年を除くと最低を記録してしまいました。

そうなってくると聞こえてくるのが「引退」というワードですが、騎手としては節目となる2000勝も見えてきているので、まだまだ頑張ってもらいたいところです。ブログなどでも引退について語ることはないので、田中騎手本人がどう考えているかはわかりませんが、2017年は9月時点ですでに昨年を上回る21勝を挙げていますし、健在ぶりを示しているといえるのではないでしょうか。そもそも、前述したように関東では田中騎手より年上の先輩たちがまだまだ活躍しているので、この人達より先に辞めるわけには…という思いもあるのかもしれませんね。

某テレビ出演以来すっかり定着した、似てると言われる

武豊騎手をはじめ、関西所属の騎手は地上波のテレビ出演も多いのですが、田中騎手は関東所属でありながら、積極的にテレビ番組などに出ることが多いです。2016年には、出演したテレビの番組内で、田中騎手が以前から俳優の反町隆史に似ていると言われているのをいいことに、自分から似せようとしていたことを暴露し、話題となりました。

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引用元:当たり障りのない世界

ちなみに、2009年にはすでに自身のブログで、関係者やファンの方から反町隆史に似ていると言われると語っていました。当時からまんざらでもない様子を出していたので、故意に似せようとしだしたのもそのあたりからでしょうか。

実際のところ、似ていようがいまいが、そういった話題が出るあたり田中騎手は十分イケメン騎手として認知されているともいえるでしょうから、変に寄せていく必要はないかもしれませんね。

今の嫁とのあいだには2人の子供もいるが、実は以前にも結婚を…。しかも結婚相手によって成績も変化?

騎手は安定して活躍できるようになると収入もどんどん増えるため、若くして結婚される方も多いですが、田中騎手もやはり結婚は早かったです。1996年に結婚されたのですが、その後時期ははっきりとしてないものの離婚してしまい、2005年に違う方と再婚されています。

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ちなみに、最初に結婚した1996年は2年目以降続いていた重賞勝利が途切れ、1997年もオレンジピールに騎乗してクイーンカップを優勝するものの重賞はその1勝のみ。さらに1998年はまたも重賞未勝利と、良い結果を残せていませんでした。しかし、再婚した2005年は重賞4勝、2006年は自身最多タイのG2レース2勝を含む重賞3勝、そして2007年には皐月賞でG1勝利を挙げるなど大活躍しました。もともと田中騎手は好不調の波が激しいタイプではありますが、結婚直後の成績を見る限り、プライベートも多分に影響するタイプなのかもしれませんね。

また、現在の奥さんとのあいだには娘さんが2人いるそうですが、名前・年齢ともに公表はされていないようです。2世が多い競馬会なので、娘さんが騎手を目指すようなら藤田菜七子騎手のように話題となるでしょうが、今のところそういった話もありません。

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田中勝春伝説。ぼったくりとデムーロ

田中騎手を語る上で外せないのが、いわゆるぼったくり事件と、デムーロ事件です。
まずぼったくり事件ですが、これは後輩の若手騎手がぼったくり店で被害にあったことを知りながら、田中騎手があえてそのぼったくり店へ飲みに行き、高額な請求をされても顔色ひとつ変えずに支払いを済ませたというエピソードです。

その時の請求額は200万円だったり、60万円だったりバラバラですが、少なくとも田中騎手が100万円以上支払ったのは間違いないようで、噂にあれこれと尾ひれが付いていかにも伝説っぽく語られています。

ぼったくり店の店員の動揺した顔が見たかった為とか、ぼったくられた後輩達の仕返しの為とも言われていますが、どういった心境だったのかは定かではありません。ただ、田中騎手は仲の良い横山典弘騎手と飲み歩く時は、一晩で200万円以上使ったりするような豪快な遊び方をするので、これもそういった遊びの一環だったのかもしれませんね。

ぼったくり事件がプライベートでの伝説なら、デムーロ事件は仕事での伝説です。これは2003年の皐月賞のゴール直後に、ネオユニヴァースに騎乗し勝利したミルコ・デムーロ騎手が、サクラプレジデントで2着に敗れた田中騎手の頭を叩いた事件です。デムーロ騎手としては、ガッツポーズをしようと思ったらちょうどいいところに田中騎手の頭があったのでついバシンっとやってしまったようです。

デムーロ騎手にとっては日本での初のG1勝利でもあったので、テンションが上がってしまっていたのでしょう。しかし、普通であればやられたほうはその後激怒しそうな案件ですが、田中騎手はレースで負けた悔しさはあるものの、叩かれたことは特に気にしていないようで、現在もデムーロ騎手とは良好な関係のようです。

どちらの事件ともその可否はともかくとして、田中騎手の人としての器の大きさが感じられる逸話といえるでしょう。

騎手としては平均以上の年収

ぼったくり事件にしてもそうですが、田中騎手はお酒好きで飲み歩く時はかなりの金額を使ってしまうようです。

しかし普通のサラリーマンでは到底払えないような金額であっても、収入の多い騎手であれば十分に払えます。実際、田中騎手は成績を落としてしまった2016年こそ収入も5000万円を下回ってしまいましたが、それ以前は安定して8000万円程度稼いでおり、今年も今のペースでいければ5000万円は超えられると思います。

騎手の平均年収は4000万円前後と言われているので、田中騎手はまだまだ平均より多くもらえていることになりますね。
騎手はレース賞金の5%が取り分となっているので、賞金の高いG1レースを1つでも勝てばそれだけで年収も跳ね上がります。これまで田中騎手はあまりG1勝利には縁がありませんでしたが、この先1つ2つと勝てるようにまだまだ現役で頑張ってもらいたいですね。

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